今日の金スマでEXILEのHIROとE-girlsの特集をやっていました。
今ではEXILEもE-girlsも人気ですが、ここまで来るまでの道のりは凄く険しかったようです。
その内容をまとめてみたいと思います。
目次
HIROの芸能界をほされた過去

社長のHIROとE-girlshは元々居た事務所に解雇通告されて芸能界をほされた過去がありました。
HIROの原点は1990年にデビューした伝説のダンスユニットZOO。
HIROは当時20でZOOの中でも最年少だったようです。
ZOOは凄い人気でデビュー二年目の1992年には武道館ライブもしています。
スターになったHIROでしたが1995年にZOOは解散してしまったのです。
HIROは26歳の時でした。
その後HIROはすぐに新しいグループを作ったようですが仕事を貰えずすぐに解散してしまったのです。
もう一度、武道館を目指して一からのスタートするHIRO
それでもHIROは諦めずに絶対に返り咲く、もう一度武道館に立つと心に決めて当時30歳の時に最高のダンスとボーカルユニットを目指して一からメンバーを探し始めたのです。
HIROが最初に目をつけたのは、USA、MATSU、そしてMISIAのバックダンサーwpしていたMAKIDAIでした。
更にボーカルを加えて1999年にJ Soul Brothersを結成したのです。
でも事務所から貰える月給は6万円だったそうです。
牛丼ひと皿を皆で分け合って食べたこともあったそうです。
そしてHIROは昔からの知り合いだったエイベックスの社長にプライドを捨てて頭を下げてもう一度チャンスをくださいとお願いしたそうです。
松浦社長はHIROにチャンスを与えHIROはエイベックスから3枚の曲を発売してみたいです。
それでも収入が殆どなかったHIROは松浦社長にお願いしてエイベックスのダンススクールの講師をさせてもらっていたのです。
その時にデビュー前の倖田來未や島谷ひとみにもダンスを教えていました。
そして夜は知名度を上げる為に毎日ステージに立ち、ライブハウスだけじゃなく、路上ライブやデパートの屋上でのパフォーマンスもしたそうです。
ATSUSHIが加入してEXILEとしてメジャーデビュー
2001年にATSUSHIが加入してEXILEとしてメジャーデビューを果たしたのです。
そしてデビューシングルでは初登場4位を獲得します。この時HIROは「二度とこのチャンスは逃さない」と心に誓ったのです。
2002年10月にはメンバー全員が50万円を出資してEXILEエンターテイメントを設立します。
HIROとE-girlsの出会い

そしてこの時にHIROが講師を務めるエイベックスのダンススクールにdreamの新メンバー来てHIROとの出会いを果たします。
その中に居たのが、後のE-girlsのリーダーAya、メインボーカルのAmi、そしてShizuka、Erieの4でした。
この4人は入った時から全く期待されていなかったのです。
でもHIROはこの4人が輝いてるように見えたそうです。
dreamは毎日5時間のレッスンをしてエイベックスが開催する野外ライブa-nationにて初ステージに立ったのです。
後半に登場する浜崎あゆみの前座としてdreamは登場してEXILEもdreamの2番目に登場するほどで当時はあまり人気がなかったみたいです。
その後、地方出身のdreamには事務所からマンションが用意されたのですが、エイベックスに所属する年下の家だったみたいで、dreamは居候することになったのです。
なので1畳のスペースに3人で寝ていたのです。
そして2ヶ月後に事務所が用意してくれたのは風呂もトイレもない築40年のボロアパートだったのです。
dreamはここに4年間も暮らすことになったのです。
そしてHIROは2003年に知人の会社と合併して社名も変わりLDHになったのです。
この時にはEXILEの人気は凄くなっていてアルバムはミリオン突破することに。
そして結成3年目の2004年の6月にはEXILE初の目標の日本武道館公演をしたのです。
その後は紅白歌合戦にも出場して、忙しくなって来たHIROはダンスの講師を卒業してdreamから見たHIROは雲の上の存在になってしまう。
その時dreamはうたばんに出演して中居正広と共演している。そして曲を披露するとdreamは初のオリコンTOP10入りを果たします。
その後、芸能人女子フットサルが流行ってdreamをいやいやでしたが参加することになったのです。
dreamは猛練習して試合に出ると圧倒的な強さで優勝します。ダンスよりもフットサル中心の生活になってしまうのです。
そしてエイベックスではdreamをどうしたらいいのか分からなくなってしまってdreamを解雇することになったのです。
それでも夢を諦めることが出来なかったdreamは自分たちでお金を出し合って機材を買って路上ライブをしてスカウトされる待っていました。
そしてShizukaの誕生会をしているとHIROがEXILEメンバーを連れて突然やって来たのです。
HIROはこの時dreamのマネージャーから解散の話を初めて聞いたのです。
そしてdreamのマネージャーはエイベックスの松浦社長にあるメールを送ったのです。
内容は「解雇の前に、もう一度チャンスを下さい。彼女たちの未来をここで終わらせたくないです。」と。
dreamがLDHに移籍
それを見た松浦社長はHIROに電話をしてHIROのところで面倒見てくれないかと頼んでくれたそうです。
HIROはdreamの面倒を見ることにしてデビュー7年目の2008年7月にLDHに移籍したのです。
この当時のことはHIROは「夢を追いかけて来たのに、その一瞬の一言で「解散」で全てが終わるみたいな。もの凄い辛かったって話を聞いて、自分も燃えましたし、昔の僕がZOOをやってた頃がそうゆう感じでしたので、知らぬ間に終わってたっていうのを経験してたので、そこでものすごい共感して一緒にリベンジしようみたいな感情が芽生えた事を凄く思い出しますね」と語っていました。
そしてdreamを救ったのはHIROだけじゃなくATSUSHIも。
dreamの為にATSUSHIは「希望の光」という曲を作ったのです。
この曲には挫折から這い上がったATSUSHIの人生が思いが綴られていたのです。
好きな女性を振り向かせる為に歌手を目指すエグザイルのATSUSHI
4歳からピアノを習っていたATSUSHIが歌手を目指したのは、ある女性に一目惚れをします。その女性を振り向かせたくて将来の夢は有名になることになったのです。
女性に4回も告白しましたが女性は振り向いてもくれなかったらしいのです。
ATSUSHIはどうやったら有名になれるのか考えていた高校2年の春に友人に頼まれてバンドのボーカルになるのです。
その後ATSUSHIは音楽の専門学校に入学して歌手デビューを目指してデモテープを音楽会社にいくつも送ったようですが、どこからも声がかからなかったみたいです。
自身を失いかけた時にたまたま見ていたテレビASAYANで男性ボーカルを募集していたのです。
オーディションを受けて最終5名まで残ったのだが、最終選考で不合格になってしまいます。
この時に勝ち残った二人がchemistryとしてデビューしました。
凄く悔しい思いをしたATSUSHIは学校のコンテストに出場するも賞を取ることが出来ませんでした。
そんな時にATSUSHIに電話が来て、それはASAYANのスタッフでエイベックスの偉い人が話がしたいという内容でした。
その人がHIROだったのだ。HIROはASAYANで歌を歌うATSUSHIを見て凄い歌が上手いと思ったそうです。
そしてATSUSHIもHIROに救われてスターに這い上がったのだった。そんなATSUSHIがdreamに書いた曲を聞いたdreamは全員涙を流したのです。
dreamもEXILE同様に激しいトレーニングをしているそうです。
あまりに厳しさにE-girlsは6人も脱退しているみたいです。
E-girlsの原点は2003年にHIROが開校したダンス教室EXPG。
E-girlsのメンバーのほとんどがEXPGの出身者らしいのです。
EXPGは全国に9箇所もあり札幌、東京、横浜、名古屋、大阪、松山、福岡、宮崎、沖縄にあるようです。
HIROには悩みがあって男性はEXILEに昇格する夢があったが、女性にはなかったのです。
そこでHIROは女の子だけのユニットを発案したのです。
全国からダンスの上手い女の子を集めてHappinessとFlowerを結成したのです。
ですがFlowerにはボーカルが居なくて一般応募でオーディションをすることに。
3万人の中から選ばれたのが鷲尾怜菜だったのです。
Flowerはオリコン初登場4位で好発進をした。
dream、Happiness、Flowerの3つのグループをまとめたE-girls誕生
そしてHIROのLDHにはdream、Happiness、Flowerの3つのグループが誕生しました。
そこでHIROはヒラメキでE-girlsという名前をつけたのです。
dream、Happiness、Flowerの3つのグループをまとめてE-girlsで売り出すとHIROは思いついたのです。
そして鷲尾怜菜がイジメにあっていた事実が明らかになっていました。

鷲尾は小学校から中学2年までイジメられていて、付けられたあだ名は「ゴミ」。
イジメで学校を休んだこともあった鷲尾ですが、心配させたくなくて親には絶対に言わなかったのです。
鷲尾は中学2年の時にEXILEのライブを見に行った時にLDHが運営するダンススクールが福岡で開校することを知ります。
鷲尾はすぐにスクールに通ったらしいのですが、鷲尾の母はお金がかかるのでスクールを辞めてほしいと言ったのですが、鷲尾は高校を辞めてアルバイトをしてレッスン代を稼いでいました。
それでもお金が足りなかった鷲尾に母は「お金のことは気にしなくていい」と言ってくれたのです。
そんな母を裏切れない鷲尾はFollow Meのボーカルになったのです。
しかもCMに起用されてオリコン週刊チャート2位の大ヒットをしたのです。
2013年には紅白にも出場したのです。
そしてスタジオではE-girlsに禁断の質問をするコーナーに。

実はAKB48に入りたい?
と聞かれると26人中0でした。
HIROさんには感謝はしているがタイプではない?
26人中1人居ました。
HIROさん以外で恋をしている?
これは1人居ました。
今彼氏が居る?
0人
私はこっちだ?(おネエ)
1人
その一人に質問。この中に好きな人が居る?
0人
将来が不安?
6人
辞めたいと思ったことがある?
6人
EXILEを尊敬している?
25人
E-girlsが好きだ?
26人
そして禁断の質問の後にはE-girlsで希望の光を歌っていました。
凄い感動的な番組でした。E-girlsを全く知らなかったのですが、これからも活躍してほしいなと思える番組でした。E-girlsもそしてHIROさんにも頑張ってほしいですね。