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水木しげる多臓器不全で93歳で死去!ゲゲゲの鬼太郎ファンの悲しみの声

水木しげる

出典:cocorofull.jp

漫画家の水木しげるさんが亡くなられたそうです。11月30日のことで多臓器不全だったそうです。

水木さんと言えばゲゲゲの鬼太郎で大ヒットして、この日本に妖怪というものを広めた方です。ゲゲゲの鬼太郎以外にも悪魔くんやのんのんばあとオレが私の中では印象的です。

そして朝ドラのゲゲゲの女房では水木さんがどのように漫画家として成功したのかが描かれていました。片腕で漫画を書く姿が印象的で水木さんが亡くなって悲しむファンの方が大勢います。ホントに愛されている漫画家だったんだなと実感します。

水木さんがこんなに日本で愛されていたんだというコメントをまとめました。

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水木しげるファンの悲しみの声

水木しげる

出典:livedoor.blogimg.jp

No.1

子どもの頃は鬼太郎のアニメが大好きでした。
先生の描く妖怪たちは恐ろしくもあたたかさがありました。
ゲゲゲの女房に感動したその年に結婚し調布市に住んでいます。主人は鳥取出身で、帰省の度に米子鬼太郎空港を利用しています。
なので先生に勝手な親近感がわいていました。
身内が亡くなったように悲しいですが、激動の人生本当にお疲れ様でした。

 


No.2

つい去年鳥取に、水木しげるさんのミュージアムに行きたくて行ったのです。

キタロウだけじゃなくて、水木しげるさんの人生に強く感銘を受けました。
とてもとても感性が、想像力が豊かな方なんですね。
残念ですね。

 


No.3

水木しげるロードは大幅なリニューアル計画が決まっており境港駅前にも新ホテルが来年オープンするとのこと。
水木先生が亡くなられても、益々妖怪パワーで地域が活性されていくことを願っています。また鳥取県へお邪魔します。
牡蠣やカニが最高に美味しかったのが忘れられません。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 


No.4

自伝がかなり面白い。水木さんは何かに夢中になると他の大切なことがすっかり頭から抜け落ちてしまうようです。戦時中に敵の見張り役として双眼鏡を渡され るが空を舞う美しい蝶を夢中で眺めていたために敵が近寄ってきたことに気がつかず銃で撃たれた話や印刷工場に就職しても配達の途中の店先の太鼓作りを夢中 になって時間を忘れて見ていてクビになる話等が読める。

 


No.5

大変お疲れ様でした
日本国民に笑顔をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

 


No.6

ついに妖怪になったか

 


No.7

また日本に転生しておもしろい漫画を描いてください

 


No.8

調布で二回程見かけました。
パルコ内の本屋で自分の本を立ち読みしてたのが印象的でした…。
自分も境港出身だから声掛ければよかったと後悔。

水木しげる先生本当にありがとうございました。

 


No.9

鬼太郎、悪魔くん大好きでした。
妖怪大百科を擦り切れるまでみました。妖怪ポストを竹やぶや橋の下で探したりしました。そんな小学生だった私。
今では、息子が妖怪大百科をみています。
本当に本当に大好きでした。
先生は妖怪達のところに行ったのですね。

 


No.10

悲しいのに悲しくないな
きっと今頃自由な身体で墓場で妖怪たちと運動会をしているんでしょう

 


No.11

今、ほとんどの日本人が妖怪という存在を知っていて、恐れずに、愛すべき存在として認知してるのって、水木先生のおかげだよね。
これってすごいことだよね?
みんな、鬼太郎もオヤジも、いったんもめんも、ぬりかべも大好きだよね!

 


No.12

アニメのエンディングに出てきた蟹の化け物は今頃でも夢に出る
子ども時代の恐ろしさすら今は懐かしい
この世以外の世界があるのかもしれないと教えてくれた方でした
合掌

 


No.13

悲しい
子供の時はゲゲゲの鬼太郎や先生の妖怪が大好きでした
そして大人になってからはその深い人生観に魅了されていました
とても悲しい
もう先生がいらっしゃらないなんて…
ご冥福をお祈りいたします

 


No.14

亡くなったというニュースで初めて戦争で片腕を失っていたのを知りました。
鬼太郎は子供の頃から大好きで見ていました。
ステキな作品を残してくれてありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。

 


No.15

作品や登場人物以上に先生の人柄がとっても好きでした。
本当に100歳まで元気でいてほしかった。
布枝さんのお言葉から、ご夫婦の中の良さが伝わってきてさらに悲しいです。

 


No.16

ニュースを見てとても驚きました…元気な御姿の印象がとても強かったので。
水木先生が見せてくれた世界観はこれからも色々な方に愛されていくことと思います。
これからは天国から妖怪世界へ調査しに行くのかな…。

 


No.17

私も小さい頃、水木先生の妖怪の本を読んでいました。怖くてトイレに行けなくなったり、弟とどの妖怪が好きか話したり。

大人になってからは、子供達がハマり境港や深大寺に遊びに行きました。鬼太郎グッズも集めたなー

家族の思い出と水木先生の作品がいつもともにありました。

ご冥福をお祈りいたします。

 


No.18

でも、何だか亡くなったって気がしないんですよね。
人間から妖怪にクラスチェンジされたのでは

 


No.19

日本人の妖怪のイメージは水木さんが作ったといっても過言ではないと思います。
子供のころはゲゲゲの鬼太郎はあまり好きではなかったけど、大人になってから好きになりました。
漫画だけでなく、著書も読ませていただきました。

水木さんはずっと貧乏暮らしで、生活苦から解放されたのが40代を過ぎてから。
そこまで支えた奥様も素晴らしいと思います。
私はまだ30代です。まだまだこれからだと思い知らされます。

ラバウルでの戦争体験も凄まじいものであり、左腕を失ったときの手術は麻酔なしで行われたそうです。
戦争で大勢の人が死んだ。
国のため、家族のために勇敢に死んでいった人もいるが、この陣地を守れとか、玉砕せよとか、大局でみるとちっぽけなことなのに面子や生き恥という言葉のために沢山の兵士が死んだ。
というところがすごく印象に残っています。
人間、2、3回は死にかけたほうがいいって言ってたのも印象的です。

生前であの世に行くことを楽しみだと公言していた水木さんですから、願いが叶っておめでとうございますと言いたいです。

 


No.20

このお年でも若者のような食生活を送られていたことから、水木ファン達の間では、もはや先生ご自身が妖怪に近づきつつあるのではないかとすら言われていたそうですね。
死因の多臓器不全とは、ご自宅で転倒して頭を打ったのが引き金となって結果的に全身の生命力が衰えて力尽きたということですかね。
年齢に不足はないとはいえ、その転倒がなければもっと長生きされていたはずなので、残念です。
妖怪が好きで妖怪達からも愛された水木氏が、妖怪の世界へ旅立たれたんだな・・・と思うしかないですね。どうぞ、安らかに。

 


No.21

亡くなってから49日までは現世とあの世の間にいるって言うからきっと奥さんの傍にいるよね。
「泣くな泣くな、楽しかったぞ。また会えるときまで妖怪達と遊んで気長に待つからゆっくり来い。」って言ってると思う。

 


No.22

エッセイを読むと、眠りたいだけ眠ってから登校するので1時間目の授業は毎日欠席だったと書いてある。
戦争でラバウルへ行かされた戦地でも毎朝寝坊してくるので上官に毎日ぶん殴られていたが、直らないのでとうとう上官が水木さんだけを起こしに来たそうです。

ねぼけ人生

出典:ecx.images-amazon.com

 


No.23

(特別賞を受賞した手塚治虫文化賞の受賞式で)

開口一番、水木さんは、自分は子供の頃から寝るのが好きだったと言った。よく寝る子であり、大人になってからも睡眠時間を削らないようにしてきた。最多忙期には寝る時間が少なくなったが、それでも時間を惜しんで寝た。おかげで、八十歳を超えても元気である。
全然マンガの話にならないではないか。手塚治虫文化賞なのに、手塚の手の字も出てこないではないか。聴衆は、異様に長いマクラに度肝を抜かれている。寝る話だからマクラが長いのも当然ではあるのだが、それにしても本論はまだか。
手塚治虫さんは六十歳で亡くなりました。
おお、やっと手塚の名が出たぞ。聴衆は耳をそばだたせた。
石ノ森章太郎さんも六十歳で亡くなりました。みんな寝る
時間を削って仕事をしてました。パーティーなどで会うと、一か月に三百枚描いた、四百枚描いたと自慢をするんです。
私は、いつ寝るんかなあと不思議に思っとったんですが、やっぱり身体(からだ)を悪くして早く亡くなりました。
私は睡眠を大切にしなきゃいかんと思う。よく寝るので八十歳過ぎても生きておられるんです。睡眠は大切です。
皆さんもよく寝るようにしてください。
水木さんはぺこりと頭を下げると退場した。

 


No.24

水木先生がいなかったらその後漫画で妖怪をテーマにしたものがあったかどうかわからないと思います。
妖怪ウォッチだけでなく鬼灯の冷徹や夏目友人帳だって、妖怪や鬼などを題材にした漫画の先駆者というより開拓者だと思います。
鬼太郎って妖怪の怖さより人間のおかしいところを描いていて登場人物のセリフにハッとさせられることも多かったです。楽しくてためになる作品を本当にありがとうございました。

 


No.25

ついに・・・!
ご自宅調布の上空で先生の魂と神々、妖怪たちがものすごいことになってると想像
先生、ますますご自由に!

 


No.26

手塚治虫さんは水木しげるさんの「墓場の鬼太郎」を見てその才能に驚愕、嫉妬したのだそうです。

あなたの絵は雑で汚いだけだ。あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ」と水木さんに言い放ち、対抗して描いたのが「どろろ」だったそうです。

水木しげるさんは、その場では全く反論せず、のちにこの体験をもとにして「自分が世界で一番で無ければ気がすまない棺桶職人」を主人公にした短編『一番病』を描いたのだそうです。

漫画の神様の(子供のように才能のある人に嫉妬していたそうです)
激しい嫉妬もさらりとかわすところも、水木しげるさんらしいエピソードです。

どちらも大天才。
天国で漫画を描いてらっしゃるかな。

 


No.27

ゲゲゲの鬼太郎、のんのんばあと俺大好きでした。
最近になって、漫画や本を図書館で借りて楽しく読んでいました。

とっても個性的で、自分を持っている方だなと思い、羨ましくもありました。
戦争体験の漫画を読み、水木さんのような方は長生きして色々語り継いで欲しいなと思いました。
なので、とっても残念です。本当に悲しいですね。

天国で好きなもの食べて、妖怪のこと描いたり…水木さんらしくいてほしいですね。
ご冥福をお祈りいたします。

 


No.28

水木先生だけは不死身な気がしてたんだ…
100歳の連載!!とか言ってギネス載ったりするんじゃってね…

なんか、ホントに、大往生なんだけど、まだまだ早いよって思ってしまった…

ご親族の胸中お察しします。

テレビ局さん、お元気な先生のお姿特番作っていっぱい流して下さい。

飄々とされて、エネルギッシュな先生に会いたいから…

 


No.29

93歳って普通に考えたら十分長寿の域なんだけど、ニュースを聞いての感想は、ただただ「早すぎる!」ということでした。
本当に何歳になってもお元気で漫画を描いていそうな人でしたよね…。
先生がいなければ、今の著名な妖怪研究家の人々も出てきていなかったかもしれないし、鳥山石燕にも改めてスポットが当たる事はなかったんじゃないか…そう思います。
偉大な方でした。

 


No.30

幸福の七ヶ条

  • 第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
  • 第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
  • 第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
  • 第四条 好きの力を信じる。
  • 第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
  • 第六条 怠け者になりなさい。
  • 第七条 目に見えない世界を信じる。

以前水木さんが著者に掲げてらっしゃったそうです。
気張らない水木さんらしいです。

引用元:http://girlschannel.net/topics/557140/

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